クイズの答え
日本人が誰もが知るお菓子である「羊羹」、この漢字は日本人が読むにも少々難しく、意外にも読めない人もいたりします。正解は…
「ようかん」
でした。
小豆を主に作った餡を型に流し込んで寒天で固めた日本を代表する和菓子です。
寒天の量で、羊羹(ようかん)は呼び名が変わり、寒天がとても多く固くしっかりしたつくりのものを「煉羊羹(ねりようかん)」、寒天少なめで水を多くしたものを「水羊羹(みずようかん)」と呼びます。
大体の世の中で羊羹と呼ぶものは、前者の煉羊羹のことです。水羊羹は、しっかり水羊羹と呼ばれるため、羊羹か水羊羹の二種で呼び分けがされます。
羊羹はとても糖度が高いため、適量であれば健康にもよく、効率よくカロリーが接種できて持ち運びも容易な簡易食としても優れています。保存性もよく、適切な保管方法なら一年近く常温でも保管できると言われています。近年では、高カロリーを瞬時に接種できる点から、スポーツマンの栄養食としても注目されています。
そんな羊羹、名前に羊の文字が入っているのに全く羊らしさがありませんね。
今回は、そういった羊羹の成り立ちから、羊羹について解説していきます。
羊羹の語源
羊羹の語源を遡ると、なんと中国の歴史にまで広がります。
過去の中国では、羊羹は料理の名前で、羊の羹(あつもの)と書いて羊羹(ようかん)。当時の羊羹は、今の黒いブロック状の和菓子ではなく、羊の肉を使ったスープのことを指しました。羹の字は、「まる煮した羊」と「美味」を合わせた意味を持つため、羊のスープが羊羹と名付けられたようです。
このように、お菓子ではない羊羹がなぜお菓子となってしまったのか、それは日本に伝来した際の信仰など、様々な事情がありました。
日本の羊羹
日本に羊羹が伝来したのは鎌倉~室町時代の頃。
もちろん、羊の肉を使ったスープということは変わらず日本に伝わっていましたが、禅僧により禅宗と共に伝わったとも言われます。
この時代の禅僧は、五戒により肉食を禁じられていたため、羊羹を伝えても食すことはできませんでした。
ここで、肉の代わりとして小豆や葛粉を混ぜて作った塊を羊肉に見立てて羊羹とし、精進料理としました。これが、今の和菓子として日本人に親しまれる羊羹のルーツとなったものです。このときの羊羹は、寒天と小豆を混ぜて固めたものではなく、蒸し羊羹という蒸して固める手法を使ったものでした。
今となっては、寒天で固められた小豆のブロックをスライスしたり、ブロックそのままかぶりついたりして食すのがスタンダードですが、当時は羊のスープの羊肉部分を、この小豆ブロックに置き換えていたため、小豆と葛粉のスープ、おしるこや葛湯のようなものが、羊羹と呼ばれていました。
それから時代が進んで、汁と具を分けて宴会後のデザートのように食す文化も芽生え、じきに汁と一緒に出るといったこともなくなってきました。その頃には、羊羹は単体で食すものとしての地位を築き始め、1500年代の江戸時代に茶のブームが訪れた際には、羊羹は菓子として扱われるようになっていったとされます。
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ちなみに、江戸時代の将軍などの高い地位の人物が外出する際の食事としても、献立に羊羹が選ばれることがあり、このときの羊羹には、小豆などの主材料のほかに山芋やくるみを入れた少し贅沢な具沢山の羊羹だったとも言われていたようです。
江戸時代の歴史書では、「羹」の字は「豆や小麦と粗糖(黒砂糖)または砂糖とで作る、日本の甘い菓子の一種」と記されており、中国にて羊羹が発祥した際の持つ意味とはかなり異なった解釈をされているようでした。
他にも通常の羊羹と異なる「砂糖羊羹」という存在も記されています。通常の羊羹は、「豆に粗糖をまぜて、こねたもので作った食物」と記載されているものの、「砂糖羊羹」は「豆と砂糖とで作る、甘い板菓子(羊羹)の一種」とされています。当時の羊羹は現代のように濃厚な甘さを持つものばかりではなかったのかもしれませんね。
近代の羊羹
それから明治時代の頃になると、産業や工業が発達し、羊羹も製造において様々な改良・創意工夫がされていました。各地で地方の名産菓子などが生産されるようになり、その中で羊羹は地方ごとのバリエーションを増やしていくこととなります。
1937年には、ゴム風船に羊羹を詰めた玉羊羹が登場。
針などでゴムに穴を開けることでそのまま食べられるユニークな羊羹です。
当時は戦争の時代であったことから、戦場へと向かう兵士に向けた慰安用の菓子として生み出されたのが始まりでした。
その後は、飛行機の機内食に採用されたり、日本人の生活に馴染んでいきました。
このように、羊羹は肉食が禁止されていたため生まれたお菓子、ということです。
肉食が禁止されていなかったら、生まれていなかったかもしれません。
海外の羊羹
海外では、小豆の甘みに馴染みない国が多いこともあって、特に濃厚な甘みを持つ羊羹は受け入れられにくいようです。
しかし、羊羹の語源となった中国では、現代で日本の羊羹を逆輸入した形で「羊羹(ヤンカン)」という名を冠したお菓子を販売しています。
韓国では、日本統治時代に残った文化として、そのまま受け入れられているようです。
しかし、現代では安くて甘くて多いという点から羊羹は世界的に注目を集めており、前述の完全栄養食としても機能する面から、羊羹が世界のスタンダード菓子の仲間に入るのもそう遠くない未来かもしれません。
水羊羹の歴史
ここまでが煉羊羹のお話でしたが、水羊羹についてもその魅力をご紹介します。
水羊羹は、寒天を少なくし、水を多めにした羊羹です。喉ごしがよく、通常の羊羹よりもさっぱりとした食感が特徴で、夏場に冷やして食べて涼を取るというのが、日本の夏の文化として馴染みがあります。
寒天を使った羊羹の生まれとしては、煉羊羹よりも水羊羹が先で、水羊羹の製法から後に煉羊羹へ転用されたとも言われています。水羊羹が生まれた江戸時代の頃は、特に季節の名物という認識はなく、一年中作られていましたが、昭和初期の頃に夏の菓子として定着してから現代まで、その慣習が残り続けていることになります。
また、水羊羹のほうが寒天を使う量が少ないという点から煉羊羹と比べて安価で作れるということで、手軽で安価な菓子という認識でした。
特に冷蔵庫がない時代は、水分と砂糖を多く使ったものは傷みやすいということもあり、夏場よりも冬場に作るという地域もあったほどでした。このことから、正月に食す日本の伝統料理、おせちにも水羊羹が採用されていた時代もあったものの、現在は日本全国の風習ではなくなり、一部地域でのみ風習が残っています。
おすすめの羊羹
ここまで解説してきた羊羹を食べてみたいと思った方は、通販で買うことができます。
数ある羊羹の中でも、日本人がおすすめするとらやの羊羹をご紹介します。
日本人にとって、羊羹と言えば大多数の人がとらやの羊羹と答えるほど、日本のスタンダード羊羹と言えます。
とらやの羊羹は、義両親への結婚の挨拶や親しい相手へのギフトなど、誰かに贈り物をする際には間違いのない最強アイテムとも呼ばれています。
とらやは1947年から続く日本の菓子メーカーの中でも重鎮と呼ばれる部類です。
初めて食べる羊羹としても、フレーバーのバリエーションが非常に多くおすすめです。
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